妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

「AI エラー」か「ヒューマンエラー」か

   
自動運転による事故は、恐らく皆無にはならないでしょう。しかし、社会的に導入される際には、人間運転による事故率よりも自動運転による事故率の方が低くなる事を正義として、立法を含めて正式に導入が決まるでしょう。 そうなった時、抱く心配は、自動運転と従来からの“人間運転” との混合になった場合、事故率が高まる恐れがある事です。
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人間運転の場合、周囲の人の運転操作を通じて、運転者の性格や嗜好、感情を推測して、次に起きるかも知れない危険な状況を未然に回避する運転をしているものです。
しかし、自動運転の場合は、周囲の状況はしっかりと把握して穏やかな運転操作を行ないますが、時として、そんな普段の運転状態からは想像し難い行動を起こす事で事故を誘発している様に想われます。そして、自動運転と人間運転が混合になった場合、自動運転が人間運転している人の予測には無い行動を起こす可能性があり、それによって増加する事故率も加味しなくてはならないでしょう。




それ以上に、もっと恐れるべき事は、「自動運転車との事故に遭遇した際、自動運転の判断は正当であり、相手側の人間運転側に大きな責任がある」という判決が出る事です。 
    
自動運転は次世代の主要産業の柱の一つですから、世界のデファクトスタンダードを握る為に、国から経済から法律までの支援を受けた大企業による国家プロジェクトですから、自動運転が人間運転との事故に遭遇すれば、非を一切認めず、自らの正当性を強く主張する事は容易に想像できます。周辺の交通状況のデータを仔細漏らさず正確に保存していて、保険会社もそれを司法の場に提出するでしょうから、ドライブレコーダーの映像と運転者の証言だけの人間運転では、従来通りの判決は期待できなくなります。
  
車の世界に限らず、「AI エラー」は滅多に起きるものではなく、「ヒューマンエラー」は起きる可能性は低くないと認識されています。今後2~3年以内に、日常生活の隅々までAIによる支援を受けて生活するスタイルが一般的になれば、「ヒューマンエラー」は AI の導入によって防ぐべきモノであり、人間にとって害でしかないという意識が一般的になるでしょう。
そんな時代になれば、人間の特徴であり人間らしさの根源とも言える、「ヒューマンエラー」は排除できない者は社会に適合できない弱者とされるでしょう。
 
そんな事を考えると、僕は、AI 信奉へと傾倒する社会に息苦しさと生き難さを感じてしまいます。

 
出典  :  自動運転 LAB. 「 自動運転車の事故(2022年最新版) 」
https://jidounten-lab.com/y_1615




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