古代のローマ帝政期、剣闘士たちを戦わせる様子を市民達に見せる場として作られた円形の闘技場がコロッセオ(イタリア語)。庶民に娯楽を与えて安定した治政を行なう為、有名なローマ市内のコロッセオ以外に、支配していた地中海地方を始めとする各地に建設させた事が知られている。
時が過ぎ、インターネットや情報端末の発達と普及によって、現代は世界中の多くの人々が一つのコロッセオに集っている様に感じる。 ライブ配信で、世界各地の何億もの人々が闘技場で繰り広げられる様子に一喜一憂していると言えるだろう。2020年のパンデミック宣言以降の混乱しかり、2022年のロシア軍のウクライナ侵攻でも、世界中の人々が右往左往しつつ固唾を飲んで見守っている。そして、各国政府も、ローマ帝と同様に、コロッセオで繰り広げられている様子や情報を、国民の意識と行動を導く為に利用していると言える。
ここで、今、観客が行なうべき事を考えてみた。
日常生活からかけ離れた状況で人の生命に大きく関わる事が起きている限り、眼を背ける事は人として難しい。更に、闘技場に降りていくのはもっと難しいのは確かだ。が、同時に、闘技場に立つ人々からは観客席の人々がどう見えているかという視点が足りないのも確かだろう。
少なくとも僕個人は、闘技場の結果がどうなっても、明日からの生活が大きく変わらないと言えるし、健康や命の危険性が増す事もない。闘技場を出て、外の居酒屋で談笑しながらビールを飲む事も出来るし、二度と闘技場へ入らない様にする事も不可能ではないだろう。
だが、僕は闘技場の様子は正確に把握しておきたい。単に、傷付き命を落とす人々の事だけでなく、それを見ている観客達の振舞いや、世界の権力者達がコロッセオをどう利用しているかを正確に把握しておきたいからだ。
それが、コロッセオが人々に与える一番大きな “教訓” になると信じているからだ。