妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

真の難民・人命支援を求めます

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2022年 2月24日、ウクライナへのロシア軍の侵攻によって、民間の多くの方々の地域が攻撃を受け、住居が破壊されて命の危機に見舞われました。
その様子は、一部の情報統制が厳しい国々を除いて、全世界の人々がほぼ同時に目の当たりしたでしょう。そして、10年前、アラブ系の人々が住むシリアの国民に対するロシア軍の無差別攻撃とは異なり、西欧諸国と米国、そして同盟の国々は一斉に制裁決議とウクライナ軍への支援を決定しました。
 

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ただ、3月末時点で、ウクライナ国内で住居を追われた人々が 1,000万人を超え、国外へ脱出した人々が 400万人を超えており、難民となった方々の健康や生活への支援が急務となっています。そして、10年以上続いたシリアからの 660万人と言われる難民の方々の時とは異なり、西欧やEU圏内の東欧諸国は直ぐに難民受け入れを表明し、それに呼応するかの様に、日本政府も “難民受け入れ” 姿勢を表明しました。
しかし、「暴挙による人道上の危機」と言い、各国と同調して速やかに表明したまでは良いのですが、国レベルで対応せず、4月1日、民間の公益財団法人への委託を公表するのに一か月以上も要しました。
   

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今回、この重い責任を受ける事になった「公益財団法人」とは、私が主宰する「NPO法人」と同様に政府・行政から金銭等の支援を受ける事は無い民間の団体です。ただ、公益性の高い事業を行なう意志のある人が、その事業を円滑に進めていくにあたり、行政が定めた一定の認定資格を経て使用する事が認められた「法人名称」に過ぎません。 つまり、政府が正面から “難民” の方々への支援を行なう訳ではなく、国家公務員が対応しない “丸投げ” という形です。
   

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2020年1月、WHOによるパンデミック宣言後、3月になってようやく厳しい入国制限などの対処を発表した時よりは早く、批判逃れは上手になったと言えますが、人命の危機への対応の遅さに変わりはないようです。
日本人では初めて、UNHCR・国連難民弁務官 として活躍された 緒方貞子 さんを 輩出した国として、今回の様な対処は決して誇らしく感じられるものではありません。 



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昨日見た、夢のような “現実”

『 春の残雪? 』

好天に恵まれた 3月27日、今年最初のイベントを開催しました。
会場は、大阪湾に面した大阪府南部、関西国際空港のある泉佐野市です。
書類提出手続きの為、少し早目に会場近くに到着して、時間つぶしを兼ねて、隣接した施設をブラつくと ・・・

 


なんと! 日中の気温 20度超えを続けているのに、雪があったのです!
不思議に思いながら、周囲を見回してみれば、そこは新設のアイスリンク場の裏手でした。
きっと、日曜日に備えた昨夜、整氷作業で削ったリンクの氷なのでしょう。
これで夏も安心! 真夏のイベント開催の時には、ここで涼める !!
いや、 夏だと、日中には溶けているかも? です。



『 風呂での表計算? 』

実は、イベントから帰った後、急に体調を崩したのです。
日中は春めいた陽射しですが、朝夕の気温は決して暖かくありませんので、それなりの服装をしていたのですが ・・、片道 約1時間、高速道路での連続走行ですっかり身体を冷やしてしまったようなのです。ガレージでの片付けもそこそこに、帰宅すれば、胃の内容物を吐いてしまう程に強い悪寒に襲われたのです。
少しの間、悪寒が収まらないまま苦しんでいましたが、「身体を温めなくては!」と思い、風呂に入った時、変わったモノを見てしまいました。
  


何分間入っていたか覚えていませんが、悪寒が治まり始めた頃、ふと、脚をみると “表計算” ソフトの様な模様が浮かび上がっていたのです。
「ありえない! きっと、幻だ幻視だ」と、眼を閉じて、念仏を唱えて、また眼を開けてみると、また同じ “表計算” が出ているのです。 「これは、きっと、何かのメッセージに違いない」と、書かれている数字や記号を見て、暗号の解読を試みてみましたが ・・
体力が落ちていた為か、もともと思考力が無い事の証明か、まるっきり不明。 だから、無視する事にしました。
     
悪寒に襲われた直後は、時代の最先端の感染か? と不安になりましたが、ご安心下さい。風呂から上がって、横になって休んでいると悪寒も収まり、体温は平熱。
下痢も無かったので、身体を冷やしてしまった為、胃が休暇状態になって、内容物だけを戻す事になったようです。
いやぁ、春の冷えには要注意ですね !!


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鉛筆の選び方、オートバイの選び方 ( 鉛筆とオートバイ シリーズ第3編 )

  
 ・ ・先に書いた記事(第2編)が分かり難いという指摘を受けた。
         実際、改めて読み直してみると、やっぱり、分かり難かったので、
    追加で説明したい。


『 オートバイの “芯” の硬さ 』

では、多くの人は鉛筆を選ぶ時、シャープペンシルの芯の選択と同様に、一番書きやすい芯の硬さを選ぶ。一般的に、「HB」を基準にして、書き味や文字の印象が柔らかいのが好みの人は 「B」から「1B」、「2B」へと芯が柔らかい鉛筆を選ぶ。 そして、書き味と文字の印象が硬めが好みの人は 「F」から「H」、「1H」へと芯が硬い鉛筆を選ぶ。
とは言っても、人によって筆圧も違えば書き味の好みも違うので、「B」で硬いと感じる人もいれば、「2H」でも柔らかいと感じる人がいる。つまり、基準を参考にしながら、一人ひとりが手の大きさや体力、何に書くかに合わせて選ぶのが一番大切だ。

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そんな鉛筆の芯の選び方はオートバイの選び方と同じだ。つまり、低速域から乗り味が柔らかい乗り味が好みの人は “芯” の柔らかいオートバイを選ぶべきだし、多少乗り心地が硬めでも高速域でしっかりとした手応えのある乗り味が好みの人は “芯” が硬いオートバイを選ぶべきなのだ。 そして、オートバイメーカーは、鉛筆の場合と同じ様に、販売するオートバイ毎に“芯” の硬さを表示すべきなのだ。

鉛筆の場合、好みと違っていて、思った様な文字が書けなければ買い替えれば良いが、高額なオートバイの場合には、簡単に買い替えれない。しかも、思った様に乗れなければ、楽しくないだけではなくて、オートバイを適切に使い切れない事になり、事故に繋がる危険性が高くなる。だから、“芯” の硬さに相当する基準をオートバイメーカーははっきりと示す責任がある。

 

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『 “芯” の硬さの見分け方 』

とは言っても、オートバイメーカーが自発的に責任ある行動を待っていても、よほど大きな社会的批難を受けたり、経済的メリットが大きくならない限りは簡単には変わらない。だから、購入する際にはオートバイの仕様書から以下の項目をチェックするのがお勧めだ。

  1. ホイール ストローク
  2. 車重
  3. 最高速度
  4. 乗車定員
  5. 主な用途

1. 「ホイール ストローク量」とは
、サスペンションの働きによって、前輪と後輪が上下方向に移動できる量の事で、車体設計時に決めてある量だ。良識ある情報サイトでは mm単位で表記されているので、それを確認して、前輪では 130㎜ 以上、後輪では 140㎜ 以上あればストローク量は長めの設計になっていて、一般的にスプリングレートは低目で、乗り味は柔らかく感じられる。

2. 「車重」は、乾燥重量で 160㎏ 以下、装備重量で 180㎏ 以下の車両であれば車重は軽い部類に入り、軽い程に スプリングレートは低く、当然、乗り味も柔らかく感じられる。

3. 「最高速度」も車両設計時に決まっていて、速度が高ければ高い程(速度比の2乗に比例して)路面からの衝撃が大変に大きくなるので、最高速度が高い車両ほど スプリングレートが一気に高くなっていて、乗り味はとても硬く感じられ、100㎞/h 以下、中速以下では乗り味はとても硬く感じられて、車両のコントロールが難しい場面も増えてくる。

4. 「乗車定員」は 1人乗り用か、2人乗りが可能になっているかで、当然、車両重量の場合と同様に、1人乗りで設計された車両の方が スプリングレートは低く設計され、乗り味も柔らかくなる。

5. 「主な用途」は、高速道路など高速走行を主な用途として設計されているか、オフロードなど舗装路以外の路面での使用を主に考えて設計されているかで、当然、高速走行が主な用途の車両の方が スプリングレートが高く、乗り味は硬くなる。

以上 5項目を確認すれば、その車両の乗り味が 硬いのか、柔らかいのか判断する際の有効な指標になる筈だ。

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『 “芯” の硬さの変更 』

とは言っても、好きになってしまったオートバイだったら、「乗り味は硬い筈」と判っていても、購入したいのは人情だ。それに、既に購入済みのオートバイの乗り味に悩んでいる人の為に、購入後に出来る “芯” の硬さ変更の方法を紹介すると以下の通りだ。

  1. スプリングの変更
  2. 主要なボルトの締結トルクの変更
  3. プリロード量(イニシャル荷重)の変更

1. 「スプリングの変更」は、最も確実な “芯” (乗り味)の硬さの変更手段で、この方法が正真正銘の王道であり、それ以外の方法は便法と言える程だ。だから、リアサスペンション ユニットを交換する際には、必ず数種類のレートのスプリングを用意して、最も体格や体重、感性に合うスプリングレートのスプリングを選ぶのが当然と言える。スプリングの選択や交換が容易な社外製のユニットだからこそユニット選択の価値があると言っても過言ではない。

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また、同様に、フロントスプリングについても数種類のスプリングを用意して、最適な乗り味の硬さが選べる。 ただ、特にフロントのスプリング選択は、よほど優れたエンジニアの方がいないと最適スプリングと巡り合えないかも知れない。

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2. 「主要なボルトの締結トルクの変更」は、前後のアクスルシャフトやサスペンション ユニットやリンクの固定ボルトの締付けトルクを、整備マニュアルで指定してあるトルク値から変更する方法だ。当然、作業と作業結果は各自が責任を持つ必要があるが、乗り味を柔らかくしたい場合には、指定トルク値から 10~30% 程度を目途に低くする手法は珍しくない。但し、ボルトのねじ山のケアは適切に行ない、ねじ山の汚れや変形、座面の歪みなどは最適に整備・修正するのが先に必要だ。

3. 「プリロード量の変更」は、簡単に誰にも出来る様になっているから、多くの人が知っている事で馴染みがあるから、「プリロード(イニシャル荷重)を調整すれば硬さも変わる」と思われているが、それはプリロード本来の意味を理解してないだけの事。便法としてのプリロード量の変更はあり得る程度に理解するべきだ。



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鉛筆の選び方、オートバイの選び方 ( 鉛筆とオートバイ シリーズ第2編 )

『 鉛筆の選び方 』

鉛筆の選び方を改めて考えてみた。
そこで、初心に帰った気持ちになって、国内2社と海外4社の有名な鉛筆製造会社の公式Webサイトを訪ねて、「鉛筆の選び方」を探してみたが、その製品の詳細な材質上の特性や製法上の特徴の説明も無く、数種類ある “芯の硬さ” 別の適した選び方の説明は全く見当たらなかった。

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まあ、良い。 かと言って、「鉛筆の選び方」で検索してヒットするサイトの多くがアフェリエイト付きのページの記事だから、収益目的で書かれたページを見る際の常識、半信半疑でしか参考にならない。そこで、個人の寄付と寄稿だけで運営されている Wikipedia で検索すれば、やっと、以下の様な詳細な表を発見する事ができた。

 

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小学生の頃から、「HB」とか「1B」で鉛筆を選ぶのが常識だったから、殆どの人は経験的に自分自身に合った「硬さ」は知っているとは思うけど、単価の低い商品だとは言え、高級鉛筆を謳うメーカーとしては疑問に残る販売姿勢だろう。

 

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『 オートバイの選び方 』

鉛筆に続いて、オートバイの選び方を初心に帰って考えてみたが、実は、鉛筆以上に問題が多い事に改めて気付かされた。それは、鉛筆の芯の「硬さ」選びの様に簡単ではなく、安全性に大きく関わる問題をメーカーが見て見ぬフリをしている結果だからだ。
     

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一般的に、オートバイを選ぶ際には、オンロードタイプなのかオフロードタイプか、アメリカンタイプなのかスポーツタイプか、排気量や性能、配色、メーカー名、価格や近所の販売店、そして “ジャーナリスト” と言われる人による車両解説記事を参考にして決めるだろう。中には、僕の様に、車両重量、ホイールベース(前後の車軸間距離)、前後タイヤサイズ、トレール量、6,000rpm(回転)以下のエンジントルク特性(曲線)、前後サスペンションのストローク量 などを一番最初にチェックする人も居るだろうが、それはきっと稀だろう。

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では、これら全てを全部チェックすれば、確実に購入する人に適したオートバイが選べるかと言えば、全く情報や対応が不足しているとしか言えないのだ。それは、ライダーの身体に適しているのかどうかが全く不足しているのだ。それは、その車両の販売状態で、どんな “身長” や “体重” 、“足サイズ” 、“握力” の人に合わせてあるかが示されてないから、そのままの状態ではどんな身長や体格の人には適していないかを全く判断出来ず、購入後に適していない箇所に気付いたとしても、例えそれが要因となって事故を起こしたとしても “自己責任”、“運転操作のミス” と警察やメディアによって公式に扱われてしまうのだ。



『 無責任なメーカーとオートバイ関係者 』

これは全く奇妙で無責任な販売方法だと言うしかない。特に、その無責任さが表われているのが「対応する足サイズ」と「対応する体重や用途」が欠けている点だ。
まず「対応する足サイズ」の件は、殆どのオートバイは 少なくとも 26㎝以上の 足サイズの人の使用に適していて、23㎝ サイズの足の人ではステップを “土踏まず” に合せたままでは微妙なリアブレーキ捜査は無理だから、例えブレーキ操作用に足を移動したとしても危険な操作を強いる事になるが、メーカーの解説書では一切触れられておらず、足サイズ別に対応可能な部品の用意さえされていない。

【 足のサイズ : 27.5㎝ の場合 】

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【 足のサイズ : 23 ㎝の場合 】

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    ・・・( 靴の中を見れば、指先がペダルに届いていない )

本来ならば、下図の様に、足のサイズに合わせられるペダルセットを装備するべきなのだ。

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次に「対応する体重や用途」の件は、オートバイが備えている運動性能を、低速域から高速域まで、安全に発揮する事を保証する “体重” や “用途” が示されていないので、適していない “体重” のライダーを危険な目に遭わせているのだ。
それが最も顕著な例は、欧州市場などで主流になっている排気量1000㏄以上の ツーリング・スポーツ車を 体重 50㎏ 程度のライダーが運転する場合だ。 それらの車両の多くは、体重 100㎏ 程度の人が二人乗りして、時には荷物を満載したまま、最高速度 200㎞/h 以上で走行しても安定性が破綻しない様に設定されている。そして、国内でも販売されているそれら車両の多くでは、欧州仕様の車体設定(主にサスペンション周り)を基本にしているから、体重 50㎏ 程度の人と積載物程度では、適切にサスペンションが作動せず、楽しく感じないばかりか、時にはタイヤのグリップを失いがちな不安定な挙動を我慢させられている。実際、そういう車両とライダーの組み合わせを嫌という程に開催するイベントで見てきているが、正しく安全性能を発揮できない事は完全に間違っている。

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本来ならば、体重や積載物の重量や用途別に、最適なレート(バネ定数)の前後サスペンションのスプリングをオプションで用意するか、或いは推奨するスプリングのレートを示すべきなのだ。
   
鉛筆という身近な題材を使って短くまとめるつもりだったが、日頃から溜まっていた事が多過ぎたのか、思っていたよりも長い文章になった。が、これらの事実をオートバイ関係者の多くが指摘しない事も問題だし、オートバイ販売や記事作成で利益を得る者達こそ最も責任を負うべきだと強く言いたい。

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ウクライナ への ロシア軍の侵攻以来

  
2月24日、米国が昨年末から可能性を指摘し続けてきた、ロシア軍がウクライナへ侵攻を始めてから、報道を観る度に胸が痛くなり、仕事に手が付き難くなっている。
1991年、現大統領自身が偉大だと考えていたソビエト連邦が崩壊して、直後に大統領に就任して以来、過去の栄光を取り戻す好機だと捉えているのだろう。

日本に居て確認出来る報道の多くはウクライナが被害者で、ロシアが加害者的な捉え方や制裁行動が溢れている。それは誤った捉え方ではないだろう。どんな狙いや大願があるにしても、他国へ軍事侵攻する事はするべきではなく、まして一般の民間人の命は奪う様な無差別攻撃は決して許される事ではない。だから、ロシアは直ちに軍を撤収して、攻撃によって亡くなった一般国民への謝罪を行ない、民間施設に及ぼした被害の弁償を行なうべきだと考えている。

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ただ、こんな時に限ってメディアの表舞台に現れる “専門家” の見解には納得できない場合もある。ウクライナ大統領が元コメディアンだったという経歴からか、「彼の政策の失敗で起きた侵攻だ!」として指導者の力量に疑問を投げかけた者も一人や二人ではなかった。仮にも、一国の国民が選挙で選んだ人を、実際に直接会談して意見交換を行なわず、安易に高額の “出演料” を得ているだけの者にしか見えない。
    
僕は、ウクライナ・ゼレンスキー大統領の事はロシア軍侵攻後に知ったに過ぎないが、居住場所や通信環境が徐々に制限を受けながらも、様々なメディアを通じて、精力的に国民や他国の指導者達に直接話しかける姿を見る限り、他国と較べられない程に立派に指導者としての責任をこなしている事は充分に理解できる。
   
しかし、疑問に感じている点も少なくない。 それは、ロシアが行なった行為だから批難されてはいないか? シリアでアラブ系の人々が同様に虐殺されていた時は欧米メディアは今とは少し異なるスタンスではなかったか?  欧米など制裁を発動している諸国は、過去に於いて、他国へ軍事侵攻して領土を奪った過去は無かったか?  攻撃を受けたという「自作自演」の被害をでっち挙げて開戦へと踏み切った国は数多くあるのを忘れていないか?
こんな機会こそ、悲惨な紛争状態を制御する国際連合が機能しない様で価値があるのか? などだ。

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先にも書いた通り、現在の無差別で人々の命を奪い、多くの人々の生活や健康を奪い続けている軍事侵攻は直ぐに止めて、武器を放棄して自国へ撤収するべきだと思う。
ただ、今回の侵攻がどういう形で収まるにせよ、人類が犯してきた数多くの武力侵攻や制裁などの経験の全てを反省して、同様の侵攻や虐殺の無い世界へと進む事を切に願う。



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ライダーの隣にある “冤罪” (えんざい)


今日、TVで、免田 栄 さんが巻き込まれた事件の報道を改めて観ました。

1948年に発生した殺人事件の犯人だとして警察に逮捕され、1審の時から アリバイが証明されていたにも関わらず、強引な取り調べによる自白書によって、死刑判決を受けた人が 免田 さんです。

ご自身も粘り強く裁判記録を書き写すなどを行ない、捜査や検察の矛盾点を一つひとつ挙げて、死刑確定になった後にも何度も再審請求を嵩ねて、1983年、当初からのアリバイの証明が認められて無罪判決を受けています。

無実の人を、誤った認識や偏見に基づいて罰する冤罪(えんざい)は、権力を与えられた公務員達が恣意的に権力を運用する態度を諦めるか、或いは、権力を付与された公務員と同等の権力を持つ組織が検証を行わない限り、冤罪の大小はあるにせよ、永遠に無くなる事のない社会の “暗部” であり “汚点” です。


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実は、ライダーの隣にも、そんな冤罪は待ち受けているのです。

特に一番危険な場面は、四輪車との交通事故にあります。一般道でも高速道路でも、四輪車と事故を起こせば、殆どの場合はオートバイ側に非がある様に扱われます。一般的な四輪車ドライバーであれば「オートバイが悪い」と言っても不思議ではないでしょうが、取り調べを行なう警察官もオートバイ側に過失があるという先入観を払拭できないものです。

これは、公道上で四輪車を起こせば多くの人が体験する事で、実際、僕自身も数度体験していますが、相手側のドライバーや検証にあたる警察官だけでなく、救急車で運ばれた先の医療従事者にも同様の偏見や思い込みはあります。 だから、意識不明の期間が長かったり、不幸にして亡くなったりすれば、例えオートバイ側に殆ど過失が無かったとしても、過失の殆どがオートバイ側にあるかの様に現場調書(公式文書)が作成されたり、四輪車は全く無関係な自損事故として調べが完了してしまうのです。

「そんな時の為に ドライブレコーダーだ!」と、多くのライダーが装着しているのもそんな社会の “暗部” を避ける為ですが、決して万全な策だとは言えないでしょう。知恵が効く四輪車ドライバーであれば、何らかの事故を起こしてしまった後は、わざとレコーダーのメモリーを消去しますし、重体になって搬送されて、現場に残された破損したオートバイもどんな扱いを受けるか誰も保証してくれないからです。
一番大切な事は、オートバイに乗る事によって様々な偏見が生まれない社会へと変えていく事です。その為に、他車と事故を起こさない事は当然として、四輪車を含めて社会全般に対してオートバイを迷惑な存在に貶めない事です。それには、ライダー一人ひとりの自覚や他者への愛が求められます。

2020年、免田さんは 95歳で亡くなりました。
無罪が確定するまでの 34年余り、冤罪によって刑に服したのですが、解放された後も街を歩けば指をさされ、批難の電話が絶えない日々が続いた事がご家族の口から語られています。 自白強要を行なって死刑求刑を行なったのは 警察や検察など公務員ですが。彼らの行動を支持して、無罪確定後にも批難を行なったのは 社会の “暗部” である私達一般市民です。
僕は、常に公務員の公僕としての自覚や知識欠損には疑問を持っていますが、それ以上に、そんな彼らを支持し続ける社会全般への働きかけが常に必要だと考えています。

いつまでも、楽しく、安全なオートバイライフを過ごす為に、社会環境への働きかけを行なうライダーが一人でも多く増える事を強く願っています。




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「 対等な支援 」と NPO・GRA


社会とは人々が対等に支援を行なって成り立つものです。
GRAの目標は、この”対等な支援”の考えで、オートバイの社会環境を整えて、オートバイの楽しさを深める人々を増やす事です。

Society is formed by people providing "equal support."
GRA's goal is to create a social environment for motorcycles and increase the number of people who enjoy motorcycles with this idea of "equal support."



 ■ 「してあげる」の言葉

教育系TV番組を観ていた時、「してあげる」という言葉への違和感を改めて強く感じさせられたのです。それは、参加している高校生達に対して、「白杖(はくじょう)を持った視覚障害の人が、横断歩道で立ち止まっていたらどうしますか?」と質問した後、答えた高校生と司会者の双方が「してあげる」の言葉を当たり前の様に使っていたからです。

人は誰でも、出来る事と出来ない事があり、一人だけでは出来ない事も多くあるのが当たり前です。だから、他の人が出来ない事があったり困っている事があれば、それを支援するのが当然の事で、全員が平等で対等であるからこそ社会が成り立っているのです。だから、他の人を支援する場合は、支援を「する」や「しない」、「できない」の言葉はあっても、対等な人間関係を壊す力のある「してあげる」の言葉は使うべきではないのです。

 

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■  “対等” が社会の基本

仮に、支援を行なった時に「してあげた」という言葉を、例え口に出さなかったとしても、頭の中で使ってしまうと、相手に対して優越的な立場に立った意識と行動に繋がります。そして、行なった支援を常に良い行動として肯定してしまう事にも繋がります。
本来、支援の評価は支援を行なう側が行なうものではありませんし、自己満足の為でも道徳的教えの実践の場に留まっていても良くありません。支援に対する評価は、支援を受けた人が評価すべきものです。その評価を確認する事もなく、ただ「してあげた」という意識に留まれば、相手側の人は迷惑であったり、優越的意識に対して劣位的意識を持たされる危険性があるのです。人は全て対等ですから、自身の意識だけを先行させてはいけないのです。
    
ただ、大変に残念な事ですが、“対等” な意識の欠如は社会に浸透していて、それが様々な場面で “優位的対応” と “劣位的従属” を生み出し、個人の人格や尊厳、生命を脅かしているのです。その一例が、正式判決前の容疑者への対応であったり、生活保護申請の窓口での対応、それに信号機の無い横断歩道などで、個人の権利を守っている法律が無視されている事などです。
    
一方、時には支援を受ける側にも問題がある場合があります。それは、支援を受けるのは当然の権利だと誤解してしまう事です。行政や一定の収益が得られる団体が行なう支援であれば、支援を受ける権利を主張したとしても大きな問題にはなりません。しかし、収益を目的としない個人や団体が行なう支援に対しでも、支援を受けるのは当然の権利と考えるのは完全に誤りですが、そういう意識を持つ人は決して少なくないのも現実です。これも、人はお互いに対等だという理解が欠けているのが原因です。
   
そんな対等意識が欠如した場面は社会の中で多くあります。一例を挙げれば、生活に困窮した人に対して支援を行なう仕事をしている役所があります。生活保護の申請窓口では、役所側の担当者は「してあげる」的な意識で対応を行ない、支援を受ける側は「してもらう」的な意識で申請を行なう為、対等な位置関係は崩れ、公務員は本来の責任を忘れた対応や態度に陥り易いのです。例え、どんな人であっても対等であるという意識が共有すれば、この社会はもっと良くなるでしょう。



■  NPO法人と GRA

ここで、私が主宰する NPO法人GRAも、そんな社会の悪癖の影響に直面してきた事を紹介します。 GRAは、オートバイに乗るライダーを対象に、長年の活動で蓄積した知識や楽しさを広く社会へ伝える活動を、30年以上前から行なっています。そして、現在は、社会的な貢献活動が認められて NPO法人として認定され、収益を目的としない活動であるだけでなく、運営を担っている全員が無報酬で活動をしています。ただし、オートバイを所有している人が対象ですから、当然、生活が困窮している人を対象にした活動ではありませんが、オートバイを操作する技術を高める事だけでなく、オートバイやライダーを取り巻く社会環境を良くする事を最終的な目標にしていて、ライダーと社会への「支援」を行なっている組織です。 
    
ところが、そんな収益を目的としない NPO活動であるにも関わらず、開催したイベントに参加する人の中には、GRAの目標や活動内容の案内は読まず、“お客様” 意識を持ったまま参加する人が少なくないのです。 更に、活動の主旨や目的を重ねて説明しても、自身の楽しみの追及だけに興味を持ち、企画運営側の意図を見て見ないふりをする人も少なくないのです。

収益目的で活動を行なっている団体やイベントであれば、参加者が “お客様” 意識に陥ってしまっても当然かも知れません。 しかし、社会には収益目的では運営されていない団体が数多くあるのが常識です。お金を払って参加すれば客様であり、講習を受ける場合であれば、教えてもらうのが当然の権利だという意識は常に正しいとは限りません。 人が “対等” に支え合うのが社会の原則を理解するならば、参加費というお金が介在しただけで、一方的に相手の考えを無視して優位的に振る舞う事は完全に誤りだと言えます。 
    
この様に、参加した人に「人は対等」という意識が欠けたままでは、「支援」活動を壊す原因に繋がるだけでなく、講習・支援の成果で仮にオートバイの運転が上達したとしても、社会の中で誇れるライダーとは言えず、ライダーを含めた社会環境を良くする人にはならないと私達は信じているので、長年に亘り試行錯誤を繰り返して、現在の様に『心』『技』『体』『バイク』の4つの要素全てをバランス良く整える大切さを強くアピールする活動をしています。 
      
そして、GRAやNPO法人に限らず、人は誰もが対等に社会を「支援」する役割を担っている事を自覚し、一人ひとりが自ら NPO的活動を行なえば、社会は更に良くなると信じています。 



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