妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

SNS 雑感

    

『  アラブの春

2010年、アラブの春と呼ばれ、中東のシリアやトルコ、北アフリカの エジプトやリビア、シュニジア、アルジェリア などの国で、市民を中心にした既存政権・君主への反対抗議運動が一気に高まった時があった。

2008年9月、アメリカの証券会社を発端とした世界的経済危機により、各国の最低下層の暮らしを甘んじていた人々は一層深刻な暮らしへと追い込まれていた事に大きく関係しているが、それだけが革命的な行動の発端では無かった。

それは、インターネットの普及とスマートフォンSNSアプリケーションの発達があった事と無関係ではない。

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『 iPhone4 以降 』

それ以前から、Apple社を始めとした各社から 多機能携帯端末電話:スマートフォンは販売されていたが、タッチパネルでアプリ選択を簡単に行なえ、メッセージも専用ボタンではなくパネルタッチで行なえるという高い簡便性により、iPhone は 一気に世界的シェアを握り、同様なスタイルを別OS(Android)で模倣した スマートフォンの派生を産んだ事は記憶に新しい。

当初は Apple社が独占的な地位を占めていたが、追従各社は 公開された OS に合わせた多様な アプリケーション開発と採用によって 一気にその差を詰めていき、Apple社も 独自アプリケーション開発を急ぎ、2010年、iPhone4販売の頃には Android 機種も含めて 各国での普及率は高まっていた。

そして、それら 高額な携帯電話の購入を促したのは、SNSアプリケーションを始めとする 各種アプリの品質安定と高機能化だった。



『 SNS

SNSとは、Social Networking Service (ソーシャルネットワーキングサービス)の略で、1990年代後半、主に PC を通じた相互の情報交流の為のシステムとして徐々に普及が始まり、2000年代当初には 社内内の情報交換や、特定の組織・グループのメンバー間の 意見交換ツールとして一気に広まり、日本 では mixi が特に有名だった。

同時期、組織やグループが 各々の事情や要望に合わせて SNS システムを構築するブームも巻き起こり、独自の SNS 構築が可能なフォームを用意して、顧客獲得を図っていたシステム系会社も数多く存在していたのがこの頃だった。

しかし、2010年頃以降、スマートフォン の爆発的な普及と SNSアプリの浸透によって、SNSTwitterFacebook など、スマートフォン に搭載されたサービスに席巻されている。




『 革命的な能力と圧力 』

話は戻り、2010年以降、現在に至るまで、SNSの影響は強く、香港で 200万人規模のデモ行進が実現したのも SNS アプリがあってこそで、トランプ氏が政治的圧力を即効で行使できるのも SNSアプリの力だ。

そんな大きな話ではなくても、SNSは個人に様々な圧力を掛けている。
「 友達 」や「 フォロワー 」の数、「 ♡いいね 」の数、「 インプレッション 」や「 エンゲージメント 」の数などが気になり、投稿の内容を工夫したり投稿の頻度を高めたり、他の人への ♡いいね 投稿を頻繁に行なうなど、個人の行動に圧力を掛けていると言って間違いない。

それ以上に厄介なのが 行動の制約だ。
「 ♡いいね 」欲しさに、「 ♡いいね 」が多く得られる話題や画像を選んで投稿するなど、日常生活の内容さえ SNS に左右される始末だ。それは特に、特定の人との結びつきが強い SNSFacebook では、「 ♡いいね 」をしてくれる人の対象が限られているので、「 ♡いいね 」を得るには、昔から 「 友達 」の人達の好みに合う様な話題を選ぶ様になり、「 ♡いいね 」が一つも貰えない投稿をしてしまった時には、「 友達 」の全員から嫌われてしまったかの様な気分に落ち込んでしまうから不思議だ。



『 人は変わり、時代も変わる 』

僕は、SNS との付き合いは長い。
PC を通して特定のメンバーの間を意見や情報交換をする SNS システムを、2000年以降、幾つか構築して利用してきたけど、前述の通り、その フォーム提供会社が殆ど無くなり、同時に 世界的な SNS 提供会社が SNS市場を寡占してしまったので、今は それら SNS をそのまま利用する側になっている。

しかし、元々、僕は “ 同窓会嫌い ” だ。 過去に付き合いがあった人達と、過去の思い出を振り返ったり、過去当時の評価を基に現在の立ち位置を説明し合う行為に意義が見いだせない性質(たち)だ。
「 友達 」や「 フォロワー 」に合わせて、投稿する話題を選ぶ圧力は気にはなっていたが、結局、無視する事にした。

人は毎日変わり得る動物だ。
自分自身の本来の姿を模索して、未来の姿を見出そうとする者にとって、過去の僕のイメージを持つ者からの「 評価 」がどれほどに役立つというのだろうか?
それよりも、新しい姿をもがき産みだそうとする姿を、そのまま受け止めてくれる新たな「 評価者 」をフォローさせる方が正しい方法だと思う。その意味で、Facebook の通常のサイトは、僕にとっては 発信先として 大きな意味は持っていない。 逆に、Facebookページは、有効なツールだと考えている

そうやって SNS を利用し、数えてみれば、7つの SNS を 合計 11 のアカウントで利用している。

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ただ、全ては 10年単位の時代の移り変わりの結果だ。
現在、SNS と呼ばれているシステムは、多様な形態で多様な使われ方をして、社会の中で大きな影響力を持っているから、自分自身のスタイルや目的の追求の為に利用しているが、2020年以降も同じだとは限らない。

変わらないのは、【 人は、人の中にいるから、人になれる 】という事だ。
人に対して、何を発信し続けられるかによって、人の側面は決まる。
自分自身に合ったメディア
を、常に最良のスタンスで利用し続ける事に変わりはない。



『 あとがき 』

漫然と、ただ SNS が持つ “ 同調圧力 ” に反抗したくて、意思を固めたくて書き始めたけど、中東の春に始まったにしては、「 竜頭蛇尾 」、「 鶏頭狗肉」になった感が多くなった事を反省しきりだ。