妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

40年前の F1 への憧憬

   
40年前の F1 への憧憬が消えないのは、車体色や広告ロゴではなく、車体の形で各車を見分けられる程に個性があったからだ。現代の競技車両は、過度な商業主義に押され、F1、WRCCARTNASCAR 全て同じ車に見える。
 

MotorSport  https://www.motorsportmagazine.com/.../jochen-mass-on... 



物知り顔の解説者によっては、「それだけ重箱の隅をつつく程に、先端技術を駆使した結果」と言うのだが、逆な見方をすれば、新規の特異な発明を防止したレギュレーションになっているだけに過ぎない。
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F1 が 個人マネーでも参加できた時代は 40~50年前に終わり、世界各地を転戦するシリーズ戦が増える毎に必要資金が増え、スポット参戦の道が閉ざされてからは、年間の運営費を賄う為にも シリーズ戦全体の TV放映権の販売と 世界への広告媒体として利用をする 世界的企業からの 資金が流入し始めてから、単独のチームだけが 連戦・連勝する事を忌避する体質へと変わってしまった。商業的には、数チームが切磋琢磨してトップ争いしている状態が望まれているから、他のスポーツでも見られるのと同様に、“あるべき状態” へと改められた結果と言える。
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しかし、個人的には、かつての コーリン・チャップマン氏 や ゴードン・マレー 氏の様な天才的なデザイナーの出現を許さず、大人数のチームによる開発力によって、レギュレーションによって狭められた領域の中で、小さな発明と改良を繰り返している状態は、あまり好きではない。
同様に、オリンピックを始めとして、商業主義にあまりにも汚染された種目の競技そのものも、個人の独創性を試す場としては、みるべき場面はかなり限られている様に思える。



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