妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

昔乗っていた車両 ( Z750GP 編 )

最初に買ったオートバイが1年落ち400㏄空冷の中古車で、次にやって来たのが同じ400㏄でも水冷の新車、そして次に買ったのが750㏄水冷の新車、しかも1気筒あたり5バルブなどと当時世界最先進の設計を誇ったオートバイでした。
 
で、その次に買ったオートバイといえば、そんな流れに逆行する選択となったのです。
 
  
【 苦悩するXJ400 】
  
最初に買ったオートバイ・XJ400は、ジムカーナという競技の世界を僕に教えてくれたけど、その世界ではとてもマイナーな車両でしたし、徐々に限界を伝えてくるようになったのです。
  
当時、ジムカーナ世界で絶対的存在のオートバイカワサキのZ750FXⅡ(略称:FXⅡ)という車両で、トップカテゴリーの「エキスパート」クラスの参加車両の殆どを占め、“ジムカーナするならFXⅡ”と広く信奉され、とっくに生産終了された同車を多くの愛好者達が中古車を指名買いしていた程でした。
  
それは、当時のジムカーナ競技をリードしていたのが カワサキ(重工業)で、全国各地の販売店を通じて地区選の開催と年に一度の全国大会を開催していた事と大きく関係していたのでした。
  
そんな事情を一切知らずにジムカーナを初めてしまった僕は、ヤマハ車で勝利を重ねる様になり、初めて全国大会に参加する事になって、「全国大会への参加はカワサキ車に限る」の条件を知り、仕方なく友人から借りたオートバイで全国大会に参加したけど、クラス(400㏄以下)優勝には届かなかったのです。
  
心機一転、次の年からジムカーナ本場だった関東地区戦への遠征を始め、愛車・XJ400でクラス優勝を重ねていったのですが、その翌年からトップカテゴリー“エキスパートクラス”へと特別昇格となってしまったのです。
  
エキスパートクラスとは本来、450㏄以上の車両限定で、過去に総合成績の良かった人達があの750㏄車・FXⅡで走っているクラスへと入れられてしまったから、相撲で言えば幕下力士が一足とびに大関に昇進させられた様なものでした。
  
「もう総合優勝を目指すしかない!」と、特別昇進してしまった年は精一杯に頑張ったつもりだったけど、総合優勝にはあと一歩届かない。
  
XJ400に愛着はあるけど、750㏄と400㏄という力の差の他に、長年の酷使と十分でない整備のために車体各部のコンディションも十分ではないので無理もない。(腕前は棚に上げて♪)
  
その上、全国大会にはXJ400で参加出来ないので総合優勝も難しい、と苦悩(?)の結果、「カワサキのオートバイを買おう!」と決意するのでした。
 

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【 それは、緑色のオートバイ
 
買うとしたら カワサキの750㏄車両。
でも、他の人が乗っているオートバイには乗りたくないから、FXⅡはパス!。
それに、恰好の良い目立つオートバイに乗りたい。
 
限られた選択肢の中から選んだのが、たまたま知り合いが乗っていたZ750GPというオートバイでした。

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それは、当時主流になりつつあった水冷エンジンや4バルブでもなく、とっくに生産終了していた旧型でしたが、あのFXⅡよりは新しく恰好は良かったのです。

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フレームと車体寸法・重量は実績のあるFXⅡとほぼ共通で、エンジンは当時の量産オートバイとしては世界初となる燃料噴射機構が採用された最新仕様(?)
その上、車体デザインは丸っこいFXⅡとは違い、全体が角張ったデザインで、何よりもその知り合いのオートバイは特別仕様の“緑色”だったのです。
  
「ローソンカラー」とも呼ばれるそれは、車体全体が緑色(ライムグリーン)でタンクに青と白のストライプが入ったもので、地味なオートバイが多かった当時はとても目立つ色だったのです。
(ローソンカラーは、某コンビニの事ではなく、カワサキ車で活躍した有名なレーサーの名前に由来)
 
こうして、新しくやって来たZ750GPと競技の世界を歩む事になり、彼はそれまで知らなかった事をたくさん教えてくれたのでした。
 
 
【 オートバイは教えてくれるモノ 】
 
Z750GPは、ライディング技術(スキル)を磨くための練習の際に、色々な事を話しかけてくれるオートバイでした。
 
XJ400も多くの練習に付き合ってくれたのですが、今ほどに整備をしていなかったせいか、大きな事故を経験しているせいか、どちらかと言えば無口でストイックな性格に変わっていたのを実感しました。
 
「それ以外のオートバイ、FZ750とかに乗って感じなかった?」
 
いや、オートバイとの付き合いも人間と一緒なのです。
破綻(転倒)するかどうかの限界域でトコトン付き合うからこそ、本当に信頼できる奴かどうかが判るものなのです。
そういう意味で、Z750GPは整備の大切さ、セッティングの大切さ、そしてタイヤの使い方まで、とても多くの練習を通じて色々な事を教えてくれたのです。
 

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買って間もない頃には、電子燃料制御ユニットが外部からの電波ノイズによる誤動作対策が必要になり、一年経つ頃にエンジンの“不整脈”発生で一念発起でエンジン内部(クランク、コンロッドからピストン、バルブガイドまで)のオーバーホールで自宅で行ない、フロントフォークの残ストローク設定による操縦性変更を会得させてくれたのもZ750GPでした。
 
そして、何よりもタイヤの構造や配合変更によって操縦特性に大きな違いが出る事を学ばせてくれたのも、タイヤを積極的に滑らせて走る方法を覚えさせてくれたのもZ750GPでした。
お蔭で、きちんと練習すると、新品タイヤでも 200 ㎞程度しかもたない事も覚えました。
 
 
【 蜜月時代の終わり 】
  
そんな風に、Z750GPとの付き合いのお蔭もあって、関東地区で開催される主要なジムカーナ大会で総合優勝を達成する程になったのですが、そんな蜜月時代は 2年程で終焉を迎え、縁があって広島の知人の元へと嫁いでいったのです。
 
次にやって来たヤツは、水冷エンジンのオートバイだったけど、それまでジムカーナ競技で殆ど実績の無い車両でした。
と言うより、実際に一般路上でさえ見かけた事も無く、あまりにもの不人気の為に新車販売されていたがとっくに生産終了になっていた程のオートバイ
 
では、試乗さえせず、どうしてそのオートバイを買ったのか?  答えは次回のお楽しみに ♪

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