妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

妖怪動画 ・ 編集&公開、少しずつ

GRAのアーカイフ資料 と アーカイブ動画の公開作業、少しずつ進めていると・・
フラストレーションを覚えるのが 自分の動画編集だ。
 
とは言っても、先ずは GRAを優先しなくてはいけない。
だから、GRA作業の “ スキ ” を見つけて、時々アップしていく事にした。

今日は、1993年のデモラン映像を一部修正してアップした。

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http://gra-npo.org/

    
以前アップした時より編集技術は向上している筈だから、次の機会は、また編集し直してアップする予定。
 
 

今冬のヒット品、 2点

大寒が過ぎ、各地から雪の報せが届いていますが  ・・・
我が家(?)で、この冬に新しく購入して、ヒットした品2点紹介します。

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一つ目は 足元専用のパネルヒーター。
デスクの下に置いて使えば、冷気の流れを遮りつつ、三方から輻射熱で足元を暖めるパネルヒーターは、予想以上に効果的に働いてくれている。
デスクに座っている限り、エアコンはもちろん、ガスファンヒーターも使わずに居られるし、消費ワット数も圧倒的に低く抑えられている。
 
  
もう一つは、座面がバケット状に成形された椅子・チェア 。
それまでに使っていた椅子、以前の勤務先での販売商品は、スタイルは良いけど、長く座っているとお尻が痛くなっていたから、近くのホームセンターで廉価で販売されていた品を購入した。
成形された座面と背面(背もたれ)は予想以上に快適だった。
ただ、僕の身長(180cm)には あまりにも低過ぎたので、約 5cm かさ上げする加工をして満足点になった。

 
この 2点のお蔭で、深夜、5~6 時間連続ワークも 快適になった。
さあ、今日も やらなくっちゃ !♪

ボランティア、 嫌い

最初に、無駄な誤解を与えないために、題名の意図を説明する。
ボランティアをしている人々や、ボランティア行為が嫌いなのではない。
「 ボランティア 」の言葉に含まれる矛盾が嫌いなのだ。


『 ボランティアの意味 』

「 ボランティア 」( 英語 : Volunteer )は、もともとは徴集兵の「 Drafts 」とは対極の意味で、十字軍軍遠征時の 自発的な「 志願兵 」を示す言葉として始まり、現在では個人かグループが、自発的に、無報酬で、個人や団体等に対して行なう社会的な奉仕活動の事を指す。

つまり、自発的に、無報酬で、社会的な活動を行なう事が「 ボランティア 」行為だ。

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『 ボランディアの矛盾 』

一般的な理解だと、障害を持った人々の生活介護などの他に、災害現場などへ出向き、被害を受けた家財道具の清掃・修理をしたり、避難所での一時的な生活を余儀なくされている方々の食事を提供したりトイレ整備などが「 ボランティア 」として使われているようだ。

では、そういう肉体的活動ではなく、歌や演奏で慰問的活動をする人達はどうだろうか? 生活に困っている人々の為に食品や生活用品を送っている人達は?  外出はせずに義援金を常に送金している人達は「ボランティア」でないのか?

自発的に、無報酬で行なう社会的な活動が「 ボランティア 」であれば、上に挙げた人達も全てボランティアと言えるだろう。


『 日常生活とボランティア 』

私達が生きている “ 社会 ” は、私達が共に協力し合って作るもの。
そういう意味で、日常生活の中で困っている人が目の前に居たら、自発的に無報酬で、何等かの行為を行なう事は人の務めだ。

また、困っている人に対してだけでなく、自身や周囲の人々などに損害を与える可能性の高い行為をしている人が居れば、自発的に、無報酬で、サポートする行為も務めの一つだろう。

だから、日常生活での人としての務めに焦点を当てず、障害を持った人々や被災地の人々に対する行為だけを「 ボランティア 」だとすれば、僕は「 ボランティア 」という言葉に違和感を感じる。

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『 ボランティアって何? 』

社会的な活動に、僕は小さい頃から興味は強かった。
地域で行なう社会的活動を除けば、中学校時代に手話を覚えて、大学時代以降に出会った “ ろう者 ” の人達とは50音と簡単な手話で会話をしてきた。
20代後半には、休日の暇を持て余して、福祉事務所へ出向き、生まれつき車椅子生活をしている女性と知り合い、彼女の社会的な活動に合わせて、日本全国各地で開催される会合に付き添って移動を助け、女子トイレにも一緒に入ったし、ノルウェーへの9日間の旅にも同行するなど、「友達」として付き添う生活を約2年間してきた。
そんな彼女のお蔭で、全国各地の身体的な障害を持った人々とも多く知り合い、その人達とも旅に同行するなど、「友達」としてお付き合いもしてきた。

1995年1月、阪神・淡路大地震で自宅が全壊扱いになった際には、近所の人々に助けられ助ける生活が当たり前だったし、2011年3月の 大地震の際には、生まれ故郷が被災した友達数名を通じてお金を支援したのも当たり前だった。

でも、僕は一度も「 ボランティア 」だとは思わなかったし、今も思わない。


『 日常生活の当たり前 』

見て判別できる障害を持った人々や被災地の人々に対する慈善的行為だけを取り上げて「 ボランティア 」と表現する事が誤りを招いている。

日常生活の中で、目には見えない障害を持っている人々に出会う機会や、被災地ではないけど生活に困窮している人々に出会う機会は、誰でも多くあるもの。
また、自身や周囲の誰かに損害を与える可能性のある行為に出会う機会もある。
そういう機会を捉えて、可能な範囲で、社会の為に、自発的・無報酬の行為をするのを務めとして、社会に住む人達が行動するのが “ 当たり前の社会生活 ” でしょう。

仮に、日常生活の中のそういう機会に一切目を向けず、「 ボランティア 」と認められる特別な行為だけに注力するとすれば、決して悪い事では無いけど、とても偽善的に見える。

だから、「 ボランティア 」という言葉が嫌いだ。

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GRAミーティング、前々日

2月10日(日)に 『GRAミーティング』(NPO法人総会)を開催するけど、イベントを開催するよりナーバス、少し神経質になっている。
なぜなら、走行&講習系のイベントとは違って、参加する人との意識ギャップが大きい経験しかないからだ。
    
オートバイを走らせるイベントであれば、オートバイを走らせたりするだけだから、意識の方向が多少違っていても大きな問題にはならない。
  
しかし、NPO法人の運営の事になると、実際に日常的に運営業務に携わっている人だけが来る訳ではないから、日頃から見ているモノや経験が違う。
せめて、週に一度以上は 公式Webサイトやブログサイトの記事を確認して、他の 同様な活動を行なっているNGONPO団体のサイトのチェックもしていてくれると良いのだけど、そういう人は滅多に居ない。
   
年に一度だけのミーティング、年に一度しか会う事が無く、実際の運営に携わらず、GRAの活動内容をチェックもせず、昔参加した時の 走行&講習系イベントのイメージのままで参加されると少し困る場合もある。
   
「 現在の活動方針や運営内容を、一から細かく説明するべきなのか ? 」と 悩ませられる経験は毎年の事だ。
   
さあ、どういう風に理解と納得を広めて、更に前進させられるか?  毎年が腕試し、技術向上の機会だ。 
  

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【 GRAミーティング 】
http://gra-npo.org/schedule/meeting/meeting_top.html

 

ハローワークの人

ハローワークへ通い始めて3か月が過ぎ、施設の利用方法も覚え、カウンターの中で働く人達の名前を覚え、日本のセーフティネットの仕組みも覚えた。
   
先日、僕に遅れてハローワーク通いを始めた姉からいろいろと聞かれた。
雇用保険、ちゃんと受給できるだろうか?」と、
  
経験者の僕は答えた。
「大丈夫、ハローワークは受給不適合者を見つけ出す施設ではなく、どんな人でもきちんと受給できる様に工夫してあるから、運転免許の合格率よりもっとイイから安心して」と。
 
でも、と僕は続けた。
「DVDセミナーで観る動画は、20~30年前の製作だから、今の実情には合っていないけど、我慢する必要あるからね」と。
 
それに続けて言った。
ハローワークでは個人情報は見られてるよ」
「実際、カウンターの中の人と世間話をしている時、無断で僕の資料を見て、僕の年齢の話題に応えた人も居たからね」と。
 
最後に、「ハローワークで働いている人達、退職したら、ハローワークに喜んで通うのかな? ちょっと尋ねてみたい気持ちだよ」と伝えておいた。

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さあ、それでも僕の求職活動は続く。
今の仕事(GRA)もきちんと進めながら。
 

マークシート世代

古代の試験方法は知らないけれど ・・
僕が学生時代の時には、“ マークシート ” 方式の試験解答は無かった。
だから、“ マークシート ” 方式には慣れていない。
  
役所手続きなどで “ マークシート ” 記入を求められると、
「 こんなに小さい四角枠を塗りつぶして意味があるの ?? 」
などと 小さな抵抗をしてしまうのだ。
    
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『 世の中の変化 』

普及した理由はわかる。
技術の進歩と集計・管理効率の向上を求めた結果が “ マークシート  ” 方式だ。

子供の頃には 扇風機 と 団扇(うちわ)しか無かったけど、
今では エアコン があるのが普通になっている普通だから、
マークシート ” 方式が普通になっていても驚かない。

でも、違和感というか抵抗感が残っている。
 
 
『 割り切れない想い 』 

「 小さな四角い枠、幾つかある中から一つ選び、黒く塗りつぶす 」
 
小さい頃からこの方式に慣れる事を求められ、
その結果で成績の優劣が決まり、進学先や就職先が決まる。

慣れた方式で、「いいね」を押したり、「友達」を決める。
そうして、結婚相手を決めて、住む家も決める。
全て、目の前にある “ 選択肢 ” から選んで決める人生でよいのか。


『 人の想い 』

“ 人の想い ” は、例え同じ “ 選択肢 ” であっても、人それぞれ違う。
人によってはどれでもよい事でも、選択に深く考え悩む人だっている。

“ 人の想い ” は 枠には収まりきらないもの、と誰もが知っているのに、
マークシート選択だけで “ 人 ” が判定される事に違和感を持たない。
そして、“ 人の想い ” を尊重しない社会を当たり前になるのか ?

いや! マークシートだけの責任ではないだろう。
単純に、「 賛成 」「 反対 」だけで決めるシステムの責任も同じだ。
選挙でさえ “ 人の想い ” を受け止められるシステムにはなっていない。

そんなシステムの偏重だけで法律が生まれ、法律によって人生を奪われる人がいる事は忘れてはいけない。
だから、国や行政は変えられなくても、身の周りの事だけは、“ 人の想い ” と “ 人の想い ” の混じり合いを大切にして生きたいものだ。 
 

 

トラ君、 足がつく。

前足(前輪) を外したままだったトラ君、冷えて可哀想だったので、3週間超ぶりに、取り付ける。
これで、いつでも自由に、トラ君、外に出掛けられるようになった。
 

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スプリングは WP  ZZ-R 1100 用、 イニシャルは低めに 最初は低めに抑えて 9,0 kgf 、スラストベアリング組み込み、これで 最初は 1G’ 時車高を 100 mm にセットして、次に 残ストロークが 45mm 程度になるように オイル量の調整をする。
     
初期スプリングレートが 0.66 kgf/mm から 0.84 kgf/mm へと 2割以上高くなるけど、交換前の WP バンディット400 用は 1G’ 以降は 直ぐに 0.91 kgf/mm になっていたので、1 G’ 時、つまり 通常乗車時には 殆ど変わらないか 若干低いレートのストローク範囲もある計算だ。

まだまだ寒いから、走ってもきちんとしたデータは取りにくいけど、果たして、喜びが待っているか? 苦しみが待っているか? 楽しみだ。
  

< あとがき >
 ・・ そのスプリングを選んだ基準やその根拠、そして プリロードなどの設定を行なった際のデータ等の詳細は、「 フロントスプリング の交換 と セッティング 」 で、後日紹介します。