妖怪大魔王・コバ法王の日記

NPO法人GRA代表、妖怪:小林が書く、オートバイや人生、社会や文化など、日頃思っている事です

トラ再走計画、 点火プラグ ・ 前編

放置プレイに泣いた トラ君、軽くて強力な リチウムイオン バッテリー 購入でエンジン再始動! と 軽く考えていたが、繊細な(小心な?)配慮が頭を支配した。

「 このまま始動させると、シリンダーに余分な傷が ・・ 」

長年、放置したままだから、エンジンオイルはオイルパンへと落ち切っているだろう。 エンジン内部で擦れ合う部品同士の間に入り込み、部品同士の摩耗や損耗を防ぐのがエンジンオイルの役割。 定期的にエンジンを稼働させていればオイルは部品間に残りやすいが、6年放置では、部品間はおろか オイルポンプやオイルラインの中さえ残っているか怪しいものだ。

そこで、シリンダーの損耗を防ぐ為に、点火プラグホールから 潤滑油か潤滑剤を注ぎ込み、エンジンを手でクランキング(工具を使って回転)させて、シリンダー壁面に塗布する事にした。

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お蔭で、新車購入時以来、2度目の点火プラグ交換。
走行距離 約 6000 ㎞ だから、本来は交換は必要ない。
だが、再走計画に抜かりがあってはいけない。
それにしても、フューエルインジェクション(燃料噴射)にもダイレクトイグニッション(コイル直接装着式点火システム)も嫌いではないが、ぎっしり詰め込まれて指さえ入り難い電装補機類の配置は好きにはなれない。

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でも、バラせばバラしたで不思議に愛着が湧く。

次回は 点火プラグ(今や 当たり前になったイリジウムプラグ) を購入してからの作業だ。

 

【 追伸 】

バラして良かったコト。

エアクリーナーボックスの前部、ラムエア用開口部との接続部のスポンジ製シールは見た目は何ともないが、指で触るとミイラの包帯の様にボロッボロッと剥がれ落ちてきた。( やはり、ゴム部品はもろい )
お蔭で、スポンジ製からゴムチューブ製の密封度の高いシールへと交換ができたコト ! ( 材料は、ホームセンター仕入れ )
 

トラ再走計画、 バッテリー編

先日も書いた通り、放置プレイの有無に関係無く、オートバイの部品で一番賞味期限が短いのが “ ゴム部品 ” だ。
タイヤは当然の事、オイル等の液体や気体の漏れや圧力損失を防ぐ為に、エンジン内部やホイール中心部、ブレーキ関連やドライブチェーンなど、重要な役割を担っているからチェック&交換は欠かせない作業だ。

しかし、それ以前に肝心な部品を忘れていた。
それは、バッテリーだ。

放置〇〇〇の際、バッテリーの-(マイナス)端子は外してムダ遣い禁止を申し渡していたが、バッテリーの自然放電をそのままにしていれば再起不能な程に老化してしまう。

そこで、新規に購入したバッテリーがこれだ。

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既に、練習車・VTRで2年以上の使用実績があるから迷わず購入。
その上、純正バッテリーの “ 鉛電池 ” とは違って、この “ リチウムイオン電池 ” では、内部抵抗の少なさから端子電圧(起電力)の低下が少ない事よりも、単体重量が小さい事が何より嬉しい。

トラ君はリアシート下にバッテリーを積むので、これで益々 “ 尻軽男 ” になるのかな ~?

 
 

トラ再走計画、進行中 !

2010年春以来、放置プレイに甘んじていたトラ君、
ようやくオーナーが“ 再走計画 ”を始めたようです。
 
室内保管(事務所ガレージ)とは云え、車体の色々な所の整備は必要。
一番の懸念は “ ゴム製品 ”で、3年前には タンク内臓燃料ポンプのオイルシールがお漏らしの前科があった。

その際は、ガレージ床に漏れ落ちたガソリンに慌ててシール交換、でも輸入純正部品は高価なので工業用オイルシールで代用したほど。

先日、簡単に確認すればリアブレーキのマスターシリンダーの感触(タッチ)が怪しい ♪
きっと、バラせばバラすほど(整備分解するほどに)、競技用レベルに戻す作業が一杯待っているだろう ♪

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妖怪・小林 “妖怪”とよばれる前の走り (1)

二輪免許を取得した 20代後半から、初めてオートバイの楽しさに目覚め、ツーリングや講習会通いを楽しんでいた頃の走り映像を紹介します。



 

この活動、過去と現在、未来

僕は、1991年、一人で思い立ち、GRAという組織を立ち上げた。
それ以来、数多くの協力者の力を借りつつ、合計 584回のイベント開催と
20,221人の参加者動員をしている。( 2015年末現在 )

僕は、嘘はつきたくないし、偽善者にもなりたくないので言うが、
これらイベント開催の原動力は「開催したい欲求」があったからで、
「参加した人の笑顔 」が欲しいからでも、与えたかったからでもない。
非営利で見知らぬ人を多く集め、事故・傷害の危険が常にあるから尚更だ。

ただただ、やりたい事を企画して、会場を手当てして、形にしただけ。
毎年同じ事をするのは嫌だし、毎回同じ事をするのも嫌だから、
毎回、毎回、工夫に工夫を重ね、企画に企画を重ねてきた。
それが、「やりたい人がやりたい事をする」というGRAの基本理念だ。

しかし、大半の参加者は身勝手なものだ。
基本的には変化は求めず、楽しかった日(イベント)の再現を求めてくる。
その意図に沿わなければ、離れて悪口をまき散らす人も多い。
仮に、組織の理念がそぐわなければ、悪口など言わず、自身で別組織を立ち
上げれば良いのに、その権利を行使せず、悪口だけを言う人は理解できない。
 

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そういう長年に亘る数多くのイベントの企画開催での知識や体験を活かし、
参加者という一部の人限定に留まらず、Webを利用して全国の方々へ情報発信
を行なう活動へと方向転換を行なっているし、それが今やりたい事だ。

内容的には、数多くの雑誌やWebサイト、動画サイトでも紹介されている事
から、それらの常識に反する内容、より基本的な事から専門的な内容まで、
文字解説だけではなく、写真画像やイラスト、動画を交えて進めていく構想だ。

少しでも楽しみにしてもらえると幸いである。


【 参考資料 】 「 1991年~ 活動履歴一覧 」
http://gra-npo.org/data/nenpyou/nenpyou_top.html

【 参考資料 】 「 成長と歩み 」
http://gra-npo.org/policy/explanation/growth.html


 
 

昔乗っていた車両 ( ブロス 編 )

学生時代、世の中の「オートバイは不良の乗り物」的な見方に影響されていた事もあって、もっぱらの関心の中心は車で、オートバイはその1/10 も無かった程だった。

けれど、1969年発売の国産初の 750㏄空冷4気筒車:CB750には強烈な印象は受けていたので、26歳になって初めて買ったオートバイが4気筒車だったのは当然の事だし、単気筒や2気筒車は買うべきオートバイではない!とさえ思ってさえいた。
  
しかし、4気筒車(Z750GP) でジムカーナ競技に熱中していた頃、そんな考えを大きく変えた出会いがあったのです。
 


【 2台合わせたオートバイが!? 】

その頃、一緒に練習をしていた数少ない仲間は二人、150㎝ほどの小柄な女性と210㎝超と背の高い男性でした。

彼らのオートバイは、女性はオンロード車・スパーダ(250㏄)で、男性のは当時最大級のオフロード車、アフリカツイン(750㏄)と、共にホンダの水冷V型2気筒エンジン車だったのですが、試乗させてもらうと、この2台共にとても乗りやすかったのです。

当時、僕が乗っていたZ750GPは、ジムカーナ競技で実績を残していた車両のマイナーチェンジ版とは云え、基本設計は古い車両でした。

それに比べると、ホンダスパーダは非力な250㏄とは云え軽快なバンクと旋回性、車体の剛性感に感心させられ、一方のアフリカツインでは足付き性こそ最悪だったものの、そのエンジンのトラクションとグリップ感(路面を掴んで力強く前に進む感覚)に感激さえ覚えていたものです。

「どちらのオートバイに乗っても、 Z750GPよりも楽しくて仕方無い 」
「2台を合わせたオートバイが作れないか?」

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スパーダの小柄で軽快な車体にトラクション感に優れたアフリカツインのV型2気筒エンジンを載せられないか?と考えていたら、それを実現させた様な車両があったのです。

それは、ホンダ ブロス、水冷V型2気筒エンジンのオートバイでした。

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【 全くの不人気車 】
  
当時はレーサーレプリカ全盛時代で、国内の各オートバイメーカーからは次から次へと魅力的な新型車が発売されていた中で、ブロスは2輪雑誌の広告で時々見るだけで、路上では殆ど見かけない程に不人気車でした。

車体のデザインも色もぱっとせず、たったの2気筒のエンジンのオートバイは、中高年向きのツーリングバイク程度にしか思えず、それまでは全く興味の対象外だったのです。

「 でも、検討する価値はあるかも? 」

1991年の年末、主要な全国レベルの大会で総合優勝まで何度も付き添ってくれたZ750GPとの別れを決め、そのブロスを実車の試乗も観る事もせず、懇意にしていたカワサキ売店に新車発注したのでした。

 


【 実際に乗った感想は 】

新車で納入されてから最初の 1000㎞は慣らし期間に決め、平日の夜は近所を、休日は遠距離を走った印象は 「 中高年用ツーリングバイク 」そのものでした。

特に、信号の無い海岸線沿いの緩やかなワインディングロードを、回転数を抑えて走った時の感覚は 「気持ちイイ!」ものでした。
しかし、購入動機はツーリングではない。距離が 1000㎞ に近づいた頃、深夜走り慣れていた六甲山のワインディングへと連れ出し、ブロスのコーナリング能力や特性を確かめてみる事に。

登り始めて幾つかコーナーを過ぎ、車体と体調の感触を確かめ、他の通行車両の状態も把握して、さあ! 次の左のブラインドコーナーの立ち上がりでアクセルを大き目に開けてみると 、ブロスは予想に反してセンターラインは無いかの様なラインを描いてくれたのでした。

困った  ・ ・ ・ !
下りではそこそこ安定はしているけど、フロント荷重が抜ける上りでは嫌な癖が出てしまう!

そうして、慣らしが終わると同時に車両の特性を大幅に変更するセットアップ作業が始まったのです。

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【 時代に恵まれて 】

ジムカーナ競技での戦績で言えば、Z750GPの時にはほぼ全国トップの成績でしたが、ブロスに替えてからは負ける気がしない程に圧倒的なタイム差を残し続けていたのです。

その要因は、充分なトルクとトラクション感の優れたエンジン特性、バンク角の大きな車体など、車両として優れた特性があった事は間違いありませんが、それ以外に時代に恵まれていたとも言える要因もあったのです。

一つは、交換した前後のサスペンション、特にフロントサスペンションのスプリングが大変に良い製品だったのです。

メーカーはオランダのホワイトパワー社(現在は WP)ですが、80年代末、同社が最も活気があった時期で、大変に優れたエンジニアが ブロス用に作り上げたスプリングは、現代では全く見かける事が出来ない程に太い線径(スプリング鋼材)でダンピングが効いた緻密な特性を持っていたのです。
そのお蔭で、通常ではセットが出し難いフロントサスペンションのセットアップが短期間で完了したのです。

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二つ目は、タイヤの変革時期だった事です。

中年ツーリング用として販売された当初は バイアスタイヤ(旧来の形式のタイヤ)で発売されたブロスでしたが、販売不振を挽回する為のマイナーチェンジ後の購入した同車は、普及が始まっていた ラジアルタイヤ仕様の設定に変更されていたのです。

そのため、スポーツ走行用タイヤとして一気に開発競争が始まったラジアルタイヤの先端モデルを装着し続ける事が出来たのが、当初は 圧倒的な成績を残し続け、その結果、ジムカーナと言えばブロス!? と、全国でブロスが一気に競技車として増殖していった程です。

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しかし、そのタイヤが要因となって、ブロスの輝きが失われていったのです。
 
それは、サーキット用として熾烈な開発競争が繰り広げられた スポーツ走行用ラジアルタイヤですが、レーサーレプリカ車に最適設計がなされる様になったタイヤは、中年ツーリング車には特性がフィットせず、競技の場ではポテンシャルを発揮できなくなったのです。

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そういうタイヤの状況もあって、本番車と練習・スペア車の合わせて2台、8年間使い続けたブロスをやめ、新しい車両へと変更したのでした。

 

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昔乗っていた車両 ( Z750GP 編 )

最初に買ったオートバイが1年落ち400㏄空冷の中古車で、次にやって来たのが同じ400㏄でも水冷の新車、そして次に買ったのが750㏄水冷の新車、しかも1気筒あたり5バルブなどと当時世界最先進の設計を誇ったオートバイでした。
 
で、その次に買ったオートバイといえば、そんな流れに逆行する選択となったのです。
 
  
【 苦悩するXJ400 】
  
最初に買ったオートバイ・XJ400は、ジムカーナという競技の世界を僕に教えてくれたけど、その世界ではとてもマイナーな車両でしたし、徐々に限界を伝えてくるようになったのです。
  
当時、ジムカーナ世界で絶対的存在のオートバイカワサキのZ750FXⅡ(略称:FXⅡ)という車両で、トップカテゴリーの「エキスパート」クラスの参加車両の殆どを占め、“ジムカーナするならFXⅡ”と広く信奉され、とっくに生産終了された同車を多くの愛好者達が中古車を指名買いしていた程でした。
  
それは、当時のジムカーナ競技をリードしていたのが カワサキ(重工業)で、全国各地の販売店を通じて地区選の開催と年に一度の全国大会を開催していた事と大きく関係していたのでした。
  
そんな事情を一切知らずにジムカーナを初めてしまった僕は、ヤマハ車で勝利を重ねる様になり、初めて全国大会に参加する事になって、「全国大会への参加はカワサキ車に限る」の条件を知り、仕方なく友人から借りたオートバイで全国大会に参加したけど、クラス(400㏄以下)優勝には届かなかったのです。
  
心機一転、次の年からジムカーナ本場だった関東地区戦への遠征を始め、愛車・XJ400でクラス優勝を重ねていったのですが、その翌年からトップカテゴリー“エキスパートクラス”へと特別昇格となってしまったのです。
  
エキスパートクラスとは本来、450㏄以上の車両限定で、過去に総合成績の良かった人達があの750㏄車・FXⅡで走っているクラスへと入れられてしまったから、相撲で言えば幕下力士が一足とびに大関に昇進させられた様なものでした。
  
「もう総合優勝を目指すしかない!」と、特別昇進してしまった年は精一杯に頑張ったつもりだったけど、総合優勝にはあと一歩届かない。
  
XJ400に愛着はあるけど、750㏄と400㏄という力の差の他に、長年の酷使と十分でない整備のために車体各部のコンディションも十分ではないので無理もない。(腕前は棚に上げて♪)
  
その上、全国大会にはXJ400で参加出来ないので総合優勝も難しい、と苦悩(?)の結果、「カワサキのオートバイを買おう!」と決意するのでした。
 

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【 それは、緑色のオートバイ
 
買うとしたら カワサキの750㏄車両。
でも、他の人が乗っているオートバイには乗りたくないから、FXⅡはパス!。
それに、恰好の良い目立つオートバイに乗りたい。
 
限られた選択肢の中から選んだのが、たまたま知り合いが乗っていたZ750GPというオートバイでした。

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それは、当時主流になりつつあった水冷エンジンや4バルブでもなく、とっくに生産終了していた旧型でしたが、あのFXⅡよりは新しく恰好は良かったのです。

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フレームと車体寸法・重量は実績のあるFXⅡとほぼ共通で、エンジンは当時の量産オートバイとしては世界初となる燃料噴射機構が採用された最新仕様(?)
その上、車体デザインは丸っこいFXⅡとは違い、全体が角張ったデザインで、何よりもその知り合いのオートバイは特別仕様の“緑色”だったのです。
  
「ローソンカラー」とも呼ばれるそれは、車体全体が緑色(ライムグリーン)でタンクに青と白のストライプが入ったもので、地味なオートバイが多かった当時はとても目立つ色だったのです。
(ローソンカラーは、某コンビニの事ではなく、カワサキ車で活躍した有名なレーサーの名前に由来)
 
こうして、新しくやって来たZ750GPと競技の世界を歩む事になり、彼はそれまで知らなかった事をたくさん教えてくれたのでした。
 
 
【 オートバイは教えてくれるモノ 】
 
Z750GPは、ライディング技術(スキル)を磨くための練習の際に、色々な事を話しかけてくれるオートバイでした。
 
XJ400も多くの練習に付き合ってくれたのですが、今ほどに整備をしていなかったせいか、大きな事故を経験しているせいか、どちらかと言えば無口でストイックな性格に変わっていたのを実感しました。
 
「それ以外のオートバイ、FZ750とかに乗って感じなかった?」
 
いや、オートバイとの付き合いも人間と一緒なのです。
破綻(転倒)するかどうかの限界域でトコトン付き合うからこそ、本当に信頼できる奴かどうかが判るものなのです。
そういう意味で、Z750GPは整備の大切さ、セッティングの大切さ、そしてタイヤの使い方まで、とても多くの練習を通じて色々な事を教えてくれたのです。
 

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買って間もない頃には、電子燃料制御ユニットが外部からの電波ノイズによる誤動作対策が必要になり、一年経つ頃にエンジンの“不整脈”発生で一念発起でエンジン内部(クランク、コンロッドからピストン、バルブガイドまで)のオーバーホールで自宅で行ない、フロントフォークの残ストローク設定による操縦性変更を会得させてくれたのもZ750GPでした。
 
そして、何よりもタイヤの構造や配合変更によって操縦特性に大きな違いが出る事を学ばせてくれたのも、タイヤを積極的に滑らせて走る方法を覚えさせてくれたのもZ750GPでした。
お蔭で、きちんと練習すると、新品タイヤでも 200 ㎞程度しかもたない事も覚えました。
 
 
【 蜜月時代の終わり 】
  
そんな風に、Z750GPとの付き合いのお蔭もあって、関東地区で開催される主要なジムカーナ大会で総合優勝を達成する程になったのですが、そんな蜜月時代は 2年程で終焉を迎え、縁があって広島の知人の元へと嫁いでいったのです。
 
次にやって来たヤツは、水冷エンジンのオートバイだったけど、それまでジムカーナ競技で殆ど実績の無い車両でした。
と言うより、実際に一般路上でさえ見かけた事も無く、あまりにもの不人気の為に新車販売されていたがとっくに生産終了になっていた程のオートバイ
 
では、試乗さえせず、どうしてそのオートバイを買ったのか?  答えは次回のお楽しみに ♪

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